「他人同士のゆくえ」


「有給休暇って言われてもなあ……しかも一週間とかどうなってんだよ」
「普段から諒一さん働きすぎなんだし、たまにはいいじゃないですか」
「おまえの肩もみでもするか」
「恐れ多いです」
 ほんとうに恐縮した顔をする暁に笑ってしまった。
 今日は月曜日、そして久方ぶりの有給休暇初日だ。なにをしよう。とりあえず昼の一時過ぎまで寝て、身体の節々が痛くなったところでようやく起きた。
「よく寝てましたね」
 キッチンでは暁がすでに遅めのブランチの支度を調えていた。
「もう少ししたら起こしに行こうと思ったのに。俺の熱烈なキス付きで」
「却下」
 すげなく言って、諒一はよれよれのパジャマにフリースを羽織って洗面所へ向かう。十一月後半、もう水が冷たい。少し頭がしゃっきりしたところで歯を磨き、キッチンに戻ると、トマトソースのいい匂いが漂っていた。
「なんだ今日のメシ」
「トマトとバジルのパスタです。麺はアルデンテ。ちょうどできましたよ、はいどうぞ」
 テーブルについたとたん、白い皿が出された。黄色のランチョンマットを買った覚えはないから、暁が自前でそろえたのだろう。正面に座る暁の席には赤のランチョンマットが敷かれている。マグカップは互いにネイビー。諒一には「R」、暁には「A」の白抜き文字がプリントされていて、なんだか可笑しくて仕方がない。
 新婚みたいだな。
 言葉には出さないけれど、そう思う。
 新婚か。男同士の乾いたつき合いでそんな腐抜けたことを思う日が来るなんて。有給休暇初日で早くも頭が緩んでいるのかもしれない。ちいさく笑って、諒一はフォークを手に取る。
 トマトの酸味が利いていてとて美味しい。バジルは爽やかだし、付け合わせのグリーンサラダもいい。もぐもぐ食べていると、コンソメスープも出されて諒一は笑ってしまった。


 ふふ、と笑いながら、クルトンの浮かんでスープをひと口。
「これ、作っただろ」
 いかにコンビニ慣れしていてもこの味は手作りとわかる。
「諒一さんが寝ているあいだに煮込んでみました。どうです?」
「うまい」
 しみじみうまい。
「カメラマンやめて食堂ひらけよ」
「諒一さん相手だから作りたい味です」
 さらりと言ってのける男をちらりと睨み、諒一はパスタとサラダを平らげる。起きてそうそうこんなに美味しいメシが食えるなんて数年前は考えていなかった。
「諒一さん、もっと食べます?」
 暁に言われて気がついた。いつのまにかぺろりと平らげていたようだ。
「いやもういっぱいだ。おまえ食べろよ」
「じゃ、少しだけお裾分け」
 フォークとスプーンでひと山パスタを分けてもらったので、お言葉に甘えて食べ尽くした。
「おまえ、ほんっといい嫁になるよなぁ」
 ほんとうに――ほんとうになんでもない調子で言ったのに暁は目を丸くした次に、にこりとわらった。それも、ひどく嬉しそうに。
「浅田暁にしてくれます?」
「――は?」
 突拍子もない言葉に反応が遅れたけれど、言われた意味がわからないわけではない。
 浅田、暁。
 田口諒一ではなく、浅田暁。
 そう考えたら、なんだかひどくしあわせで可笑しくて可笑しくて、声に出して笑ってしまった。最後には涙まで出てきた。
 暁に会って、二度目の涙だ。
 一度目は、チュニジアに行くという彼を引き止められなくて、成田空港でひとり泣いた。あのときは、重たい飛行機のかたまりが飛び立たなければいいのにと思ったぐらいだ。
 なのに、いま、暁は目の前にいて微笑んでいる。
 そして、最後のサラダのひとくちをフォークですくって差し出している。
「あーん、諒一さん」
「あ」
「んは言わないんだ」
 ふたりで笑い、サラダを食べさせてもらった。
 それから互いに身を乗り出して軽いキス。


 有給休暇、悪くない。
 そのままキスしていたら、なんだかその気になってきてしまった。腹が満たされたあとは性欲かと思うと吹き出しそうだ。だけど、暁の目も熱っぽい。
「諒一さん……」
「がっついてんなおまえの声」
「嫌いですじか?」
「んなわけねえだろ。好きじゃなかったら三年も一緒にいねえだろうが」
 そうだ、もう、三年も一緒にいるのだ。出会ったときには諒一は二十八歳、暁は二十四歳だった。それがいまではお互いに三年分歳をとり、諒一は三十一歳、暁は二十七歳になった。
 だから、三年分の愛し方を覚えた。
「時間はたっぷりあんだからよ」
「ですね」
 互いにもどかしく席を立ち上がって抱き合い、甘くくちづけながら髪をぐしゃぐしゃとかき回す。それから背中に手を回す。お互いに、強く求め合うように。三年前と変わったのはこの点だ。以前は照れや戸惑い、プライドや見栄が買ってしまってなかなか素直に求められなかったけれど、いまは少し違う。欲しいタイミングがあればどちらかともなく手をだ出すようになった。それが.三年分の差だ。怖じけることも、意地を張ることもしない。
 ただ、欲しい。その気持ちに正直になるようになった。
「ん……」
 噛みつくような暁のキスにちいさく笑う。
「やっぱおまえのキス、へたくそな」
「う、気にしてることを。そういう諒一さんはすぐに声が出るようになりましたよ」
「うっせえよ」
 互いに笑い合って寝室へと移る。まださっき起きたばかりだから毛布がみだれている。そこに暁に押し倒されて、なんだか悩ましい気分だ。自分の香りに暁の体臭が混ざって官能的だ。ブランチを食べたばかりだからか、ほかほかと美味しい匂いもする。くんくんと嗅ぐと暁は可笑しそうに鼻の頭にキスをしてきて、諒一のパジャマに手をかけてきた。
 ボタンをいくつか外せば素肌が現れる。そのことが少し恥ずかしい。なぜだろう。もう何度だってセックスして快感を分け合ってきたのに、これから肌を重ねる瞬間はいつだってひと匙の照れ臭さがつきまとうのだ。
 暁は開いた胸元にくちびるを寄せてきて、丁寧に尖りを吸い上げる。ちゅく、と噛まれるとびりっとした甘痒い刺激が走り、心地好い。そこが性感帯になることだって、暁と抱き合ってから知ったことだ。
「バカ、いいって……んな、しなくても」
「だーめ。俺の諒一さんなんだからどこもかしこも蕩けさせないと」
 甘ったるいことを言う暁の頭をかき抱き、うなじを引っ掻いてやった。もうその頃には諒一も欲しくなっていたから、腹筋を使って起き上がり、暁にまたがる。
「俺にもさせろ」
「……舐めるってこと?」
「ん。でかいの好きなんだよな」
「もう……そういうの絶対俺だけにしてくださいよね」
「おまえ以外に誰に言えって言うんだよ。おまえ、浅田暁になるんだろ」
 器用に彼の前をくつろげさせると、暁は照れたように笑ってむくりと性器を跳ねさせる。それをうっとりと眺めて根元から掴み、顔を近づける。朝なのに、濃い匂いだ。大きく舌なめずりして笠の張った亀頭を頬張り、じゅるっと啜り上げる。
「やば、諒一さん……」
 堪えるように声を振り絞る暁が無理やり腰に手を回してきて、諒一の体をひっくり返す。そうすると諒一は彼の顔の上にまたがることになる。半勃ちしている性器を晒すのは恥以外なにものでもないが、お互い一緒だ。硬いペニスを暁が包み込み、ちゅる、と先端を口に含んだだけで射精しそうだ。
「あ――っ……バカ……いい……」
「ん、ここ……諒一さんの感じるところ」
 三年の付き合いはこういうところにも現れる。お互いに慣れた部分もあるけれど、思いやるこころだってちゃんと残っている。だから、諒一も暁の亀頭のくびれをぐるりと舌で舐め取り、割れ目も軽く抉って先走りを啜る。相手の体液を交換するセックスは不思議な行為だと最近よく思う。
 気持ちよくなりたいだけなら自慰でいい。新宿二丁目で通りすがりの男を捕まえたっていい。なんたって自分はかつて新宿一の男食いだったのだから。
 でも、いまは暁がいい。暁じゃなきゃ嫌だ。何度も味わった体液を取り込んで、もっともっと深みにはまってしまいたい。明るくて、溌剌としていながらも、時折はっとするような陰のある写真を撮る暁の才能に、人柄に惚れ込んでいる。
「……好きです、諒一さん」
 諒一のうしろを探っていた暁がそんなことを言うので、諒一もふっと笑い、身体の位置を変えて彼の下になる。
「おまえの好きにしろ」
「……はい」
 嬉しそうに暁が笑い、指と唾液でゆるめたすぼまりにみなぎった男根をあてがってきた。最初からその大きさはきついと言いたいのに、お互いにもう止まれない。
「っ、あ、あ、でか、つか、おまえ……っおっきすぎんだよ……!」
「ごめん、なさい、加減できなくて」
 諒一さん相手だからと暁は喘いで腰を進める。ぐぐっと押し込まれる諒一も息を切らしながら暁を受け止め、彼の逞しい腰に両足を絡める。この体位が諒一は好きだった。自分とはあきらからに体格差のある暁に抱かれているとわかるからだ。ぎちぎちとはめ込まれていく雄の硬さに陶然となり、諒一は窓から入る陽射しを浴びながら喘ぐ。普通、夜に抱き合うことが多いのだが、仕事上こうして朝方、ときには昼に帰ってきてそのままの勢いでセックスすることもある。
 見れば、暁の額にうっすらと汗が浮かんでいた。それがなぜかひどく嬉しくて、諒一は昂まりながらもキスし、舌を絡めあって腰を絞り込んでいく。
「く、――だめ、だ、もぉ、あ、あ、いく、……っ」
「ん、俺も――諒一さんの中、で」
 ふたり呼吸を合わせて高みへと昇りつめていく。まばゆい光が目の前で弾ける瞬間、ふたりして笑い合ってキスをした。
 甘く、このうえなく甘いキスを。


「まさか有給休暇のほとんどをやってやってやりまくるとは思わなかった……」
「ハハ、俺も諒一さんもまだまだ若いってことですね」
 のんきに笑う暁をじろりと睨み、諒一は揉んでもらったばかりの腰をさする。
 有給休暇はもう今日が最終日。夜の食卓についたふたりの前にはほかほかと湯気を立てる鍋がカセットコンロに置かれている。
「はい、諒一さんの大好きなチゲ鍋です」
「だったら今日はセックス抜きだからな」
「えー精力つけてやりまくりましょうよ」
「おまえとつきあってると禿げるわ」
 言い合いながらも、互いに箸と小鉢を手にする。美味しそうな香りの向こうにこころから好きな男の顔。
 悪びれない顔がにこりとわらいかけてきて、「いただきます、浅田諒一さん」と言う。
 だから、諒一もしれっとした顔で鍋から白菜をとりわけながら言う。
「これからもよろしくな。浅田暁くんよ」
「……はい!」
 嬉しそうに笑った暁の左手の薬指に、今度のクリスマス、プラチナのリングを買ってやろう。
 もちろん、内緒で、おそろいで。